無駄にビビった話

腕にある謎のイボが見る度にデカくなってて、“これマジ悪性腫瘍だわ、死ぬわ”と思って病院で相談したら皮膚科にまわされて「これはね……」とお医者さんが言いにくそうな表情をしたの。グッと目を瞑り“大丈夫、わたしは精神的に強くなったから大丈夫!”と思いながらもやっぱりヒヨってたら「粉瘤っていう――腫瘍の一種なんだけど、古くなった角質とか老廃物が溜まったものなんです」と。
マジで恥ずかしいよね。でも、別に風呂入ってなくて不潔にしてたからとかそういうことでもないらしくて、それだけはなんか救われた、女として。否、成人した一人の人間として。笑
部分麻酔らしいからサクッと手術自体は終わるらしいけど、この季節は膿んでしまうかもとのことで、秋までこのクリトリスwみたいなイボと付き合うこととなった。



今日の一曲 Shoot It Out / 10YEARS

この曲聴きながら“殺るなら殺ってみやがれ!”と自分の腕のイボを見ながら、命を奪われることすら覚悟しながら病院へ行ったわたしの反骨精神を返してほしいw

恥をかいた話

私「『名もなき天女たち』最初から観れば良かった」
友人「ハァ(゚Д゚)?『名前をなくした女神』ね」

っていう会話がここ最近で一番恥ずかしかった。って話。友人曰く、よくタイトル間違えて言ってる人いるけど、一番ひどかったとのこと。うん、だって“アンタナニイッテンデスカ”的表情だったからね。もうリアルにIQ5かもしれなくて戦々恐々なう。



今日の一曲 桃源郷エイリアン / serial TV drama

この映像好き。あと、右側のギターの人のヒョウ柄短パンが好きw

恋の話

どうも。先ほど何の気無しにテレビを観ていたら不覚にも「めっちゃゴリゴリ ウェルカムウィークエンド!」みたいな、家族で観るにはこっぱずかし過ぎるレゲエ風楽曲を歌う怖めなお兄さんたちと、リズムに合わせてタオルを振り回しまくってるTOKIO長瀬に一瞬だけ恋した者ですこんばんは。
TOKIOの中では断然山口くんが好きっス。山口くん派というか、山口セクトっス。DASH村を観てると彼の野性味溢れる二の腕、食への貪欲さ、つなぎファッションとの親和性、などなど彼の魅力を語りだしたらキリがないですわ。魔女たちの22時とかいう番組ではオカマちゃんたちに“一度や二度はヤられたんじゃねーの!?”って妄想がかきたてられるくらいIKKOさんはじめゲテ系女性たちと器用にからまれてらっしゃったしね。好感度の代名詞ですよ。で、できちゃった婚なんてしなさそうなのにそういう猛々しい一面もあったりとか、いいじゃないっすか。
まぁ、アイドルグループのメンバーの一員って言われるとハテナですがね。つかTOKIOってアイドル性なくね?いいの?城島さんとかさ、そこらへんの一般男性よりも大分劣っている気がするのはわたしだけ?実はギターが日本では5本の指に入るくらいに達者なんていう怪情報を耳にしたことあるんだけどウソだよね?ウソだと言って!笑
いや……なんやかんや城島さん好きだけど。てかTOKIO好きだけど。TOKIOいいよね!?


今日の一曲 TURN / TRAVIS 

このジメジメした季節になると毎年聴きたくなる一曲ですな。

ゾッとした話

大先輩に呼び出され、今までのご厚意を無にする仕打ち(一般企業への就職)に対して苦言でも呈されるのかと腹を括って行ったら「ダイソンの掃除機でグソクを吸ってみたら新境地が開けた」っていう話を真顔でされ、気の利いた返しもできず「ハハッ、、、さすがチャレンジ精神が旺盛でらっしゃいますね(棒読み)」とだけ言って逃げるように帰宅した者ですこんにちは。
ダイソン社の研究者たちのあくなき挑戦の成果を、JAPANESE-HENTAIが自らの快楽を探求する――こうして国境を越えてそれぞれの立場で何かを追い求めるプライドの連鎖が生まれるなんて本当に素晴らしいことだとわたしは思ったり思わなかったり……うん、掃除機で性器を吸ってる恰幅良きアラフォー男性の姿を想像しただけでマジ吐きそう♥


今日の一曲 We Are the People / Empire of the Sun

曲がカッコイイのは想定の範囲内なんだけど、彼らのへなちょこミュージックビデオはどれも秀逸。カラフルハッピーヘンタイみたいな。

ウエストきつい

どうも。北川景子(ブログでの優等生キャラとは裏腹に良からぬ評判ばかりが漏れ伝わってくるところが嫌いじゃない・笑)が出てたCMの「泣いたり〜笑ったり〜♪」っていう歌に脳内ジャックされている者です。で、この歌い手のナオト・インティライミという人に対しては何一つとして感想は無いんだけど、彼の“Adventure”というシングルのジャケットが無条件にわたしをイラつかせてくるんだけどコレなんなの?笑
痛烈かもしれないけど、直接的に知らない人をイラつかせる才能にホント溢れていると思うわー。実際はきっと“いい奴”的なカンジなんだろうけど。
     
        (○´・д・)ノ--------キリトリ線--------ヽ(・д・`●)

さて、ここから話が恐ろしいくらいに変わるよ。
さっきから母がぐったりしていて何事かと思ったら、「ランチ食べてからずっと気分が悪い」と。昨今は国内外でも食中毒が流行しているし、何かあったら大変だと思って「病院行く?」と聞いたら「ありがと、でもそこまでじゃないから大丈夫……」と言ってゲッソリしながら横になった母の腹がチラッと見えてズボンのウエストのゴム跡がついてて笑っちゃったよね。なんか昔から母の太っているネタが本当になんかこう、、笑えてきちゃって。いや自分も絶対そうなるんだろうけど、というかもうその序章は始まってるんだけどね。ジーパンがキツ過ぎて一口サイズのゲロをしたこととかありますからね。
もしかしたら母も太りすぎててゴムがキツいからこその気分の悪さかもしれませんな。とかなんとか書いてたら、テニススクールに行かれたなう。「休むって電話してないからレッスン一回分無駄になっちゃう」とかどんだけ!



今日の一曲 Hang Me Up To Dry / Cold War Kids

冷戦キッズというバンド名だけはどうにかして欲しいけどw、マジでかっこいい。生で観たい。あとこの映像もめちゃくちゃカッコイイ。

極私的311以降メモ

何の前情報もなく昨日フラッと偶然観た『9月11日』というドキュメンタリーが面白かった。本編を観終えてから予告編を観たんだけど、コレを先に目にしていたら、絶対に劇場に足運んで無かったと思う。

ってのも、「9月11日」とか「テロ」とか「ヒロシマ」っていう記号的なコトバ――こういう類のインパクトある強い表現とは、ちょっと今はまだ距離を置きたい気分で。
でも、実際の作品は良い意味でなんてことはない、介護職につく何人かの若者たちのトークライブの抜粋と、その若者たちの実際の“仕事っぷり”を切り取った映像とを結構な粗さ(それも含めて良かったのだが・笑)で編集しましたってカンジのわかりやすくてポップなドキュメントだった。
そのトークライブが2010年の9月11日に開催されたから、タイトルが『9月11日』なのだそう。個人的にはやっぱりそれ以上の意味を憶測してしまって。上映後のトークライブで監督に質問したところ「価値観の崩壊とか従来のシステムに対して声を上げる」という意図も含めているとのこと。ただし、“テロ”っていう強いコトバを使ったのには意味は無いそう。
彼らのようにある意味、数字と切り離された環境で生きることは“すなわち「はみ出し者」として社会に認知される”っていう前提ありきなのは正直ひっかかったのだけど、311よりも前はきっとわたし含め多くの人が、数字とは無関係でいられない生活、数字至上の生活やら仕事やらをしていたんだと思ったりも。

個人的に印象深いのが、何も食べようとしない、意識があるのか無いのかすらわからないおばあさんにゼリーを食べさせようとするシーン。職員がスプーンでゼリーを掬い、口に持っていっても一切口を開けないおばあさんの手にそのゼリーを置くと、おばあさんが自ら手にのったゼリーを啜って食べるわけ。そんで、それを見てる職員たちがゲラゲラ笑ってるの。他の食べ物で試しても同じように食べる様を見て、更にギャハハーてな感じで喜んでる職員たちの様子にグッときた。

監督は「東北は復興できないと思う。復興はするべきじゃない。311以前と同じようにはならない、なるべきじゃない」とも言っていた。



数日前にNHKで放送されていた辺見庸の言葉を思い出した。
「あの日、亡くなった高齢者に対して『もう充分生きただろう』という考え方があるかもしれないけれど、そういう人こそが助けられるべき」っていうような(曖昧ですみません)。すごく共感した。またこういうオープンスペースで好き勝手書いてトラブルになるなんてことは避けたいけれど、物理的な意味で誰かの力を借りないと生きられない高齢者や身体障害者が一番先に切り捨てられる社会っていうのはあまりに“予想通り”でゾッとする。
彼の言葉を崇拝するような信者では全然無いけれど、多感な高校時代には彼の著書に相当影響された。彼の十把一絡げ気味のマスコミ批判には疑問を呈したい気もするけれど、とにかく筆力が凄い。あと、やっぱりどこか歪んでるんだろうけど、それが生々しく無いというか。
彼がテレビで語る言葉も力があるとは思うけれど、やっぱり活字で記されたものを読みたいと思う。兎に角、書きつくしてから逝って欲しい。



311以降、何事も無かったかのように生活したい自分と、未だどうしようもなく動揺している自分がいる。丸々一週間、自宅であの映像を観続けて、今までピンとこなかった“セカイ系”を逆説的に理解したりもした。
んで、やっぱりこれまで通りには生きてくわけにはいかない気がして――主体性皆無で、投げられた仕事を淡々とこなしていくっていうのに限界を感じているところで311を迎えて、決定打となったというか。それで……求職活動に身を投じることに。使う、使われるっていう関係ではなくて、ポジティブな意味での共通体験を多くの人と分かつことがしたいと思うようになった。つまるところ、同じステージだとかレベルで一緒に闘う仲間が欲しくなったってところ。
まぁ、妄言かルポの題材か贖罪wかだと思われるんだけど、本気と書いてマジだから。少なくとも今のところは。それ以前に、卒業後3年以内は新卒扱いってのを聞いたことがあったんだけど、それが完全なるデマだったと悟るという低次元からのスタート。先が思いやられる……。もはや2年計画ですわ。過程をも噛み締めたい。


今日の一曲 SRXT / BLOC PARTY 

俗に言うダンス系ロックという括りの、ブロックパーティーの亜流バンドっていっぱい出てきたけど大分消えちゃった気が……。この曲は、らしからぬところが好き。

原子力エネルギーについて思うこと

舞い散る花粉に春の訪れを感じる昨今。外出時に花粉がたんまり付着してそうなニットに鼻を近づけて息を吸えば、100発100中でくしゃみが出ますよね。それが快感で仕方がありません。最初は“いくらオマエらを吸ってくしゃみしようがわたしは負けないぜ!”っていう花粉たちへの優越感を感じるためだけの儀式だったんですが、なんだか自分の中でアブノーマルな性癖が開花したみたいで怖いです。助けてください。


といったバカな前置きはさておいて、今回は原発議論について思ったことを。
福島第一原発の事故直後、twitter上に「即時すべての原発を停止しろ」みたいなツイートが溢れてて、自分も「そうだそうだ!」みたいなテンションでいたんだけど、よくよく思い返してみると冬の日は暖房をつけてTシャツで過ごしたり、夏は冷房の効いた部屋で毛布に包まって眠るような、メチャクチャな電気の使い方をしている自分が、声高に“「原発反対!」だなんて叫ぶ資格があるのだろうか”と、ふと思ったの。
忌野清志郎氏が原発反対ソングを歌ったりと、確かに国内でもそのムーブメントはあったわけだけれど、それはチェルノブイリの事故直後で、国民が敏感になっていた「過去」だとわたしは解釈していたわけ。加えて、チェルノブイリの事故は「“安全性を省みない実験”をしようとしたことが引き金であった」というようなことを社会科か何かの資料で見た記憶があって、国内の原発の危険性と結びつけて考えたことなんて全く無かったの。っていうか、どこで電気が作られているのかなんて今まで生きてて一度たりとも考えたこと無かったし、スイッチを入れればオンになることが当たり前だと思っていた。
以前から万が一のことは絶対に起きないという保障なんて無いわけで、原発の近隣に住む方や作業員の方たちの生命を脅かす(可能性があるという意味において)ことが自分の便利さを支えていたという事実を今回初めて知って本当に愕然とした。我ながら、いい歳こいて無知だったなと恥じている次第。
計画停電が実施され、最大でも一日に6時間電気が使えないだけで不便さを凄く感じるし、この季節でも暖房を一切使わないとなると、ヒートテック2枚とセーター2枚でも肌寒く感じるんだということを知った。
わたしと同じように、今回の件で初めて自分自身の電気の使い方を反省した人もいるかもしれない。電気がこれほどまでに安く供給されているのはなぜかを初めて知った人もいるかもしれない。そういう「気付き」が積み重なれば、国内エネルギー供給量の3割を、もしかしたら減らせるかもしれない。減らせないかもしれない。

エネルギー供給について、これからきっと抜本的な議論がなされると思う。この国で暮らす全ての人が、きっと重大な選択を迫られるとも思う。正直、現時点ではどのような選択をすればいいのかは不勉強ゆえ考えあぐねてしまう。でも、誰かしらの生命を脅かしかねない方法だけは避けようと決めている。まずは自分ができることをひっそりやって、その時を待ちたい。
……書きたいことはいっぱいあるけれど、うまくまとめられないし、まずは勉強せねば。。



今日の一曲 Wrong / Depeche Mode

なぜか心拍数と緊張感が掻き立てられるんだけどついつい聴いてしまう一曲。
この救われない感100%のMVをどうにかして欲しいw